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【原発PR看板】署名を無視し撤去決めた双葉町

あの双葉町の有名な「原子力明るい未来のエネルギー」と書かれた看板は新聞などでご存知の方も多いと思います。
私も考案者の大沼さんの現場保存の考え方に共鳴し、少しですが署名を集めました。集めた数は200名ちょっと。地元の子どもたちのお祭りに署名活動を子どもたちにお願いしました。大沼さんが小学6年生の時に作った標語だということを子どもたちに説明して活動をお願いしました。そして署名活動を終えたところで、6年生くらいの子どもが尋ねてきました。「この署名は何人集まると看板を外さないでくれるの?」「?!エッ・・。ゴメンナサイ、私は答えられない。今度その人に会ったら聞いてみるわね」・・・
間抜けな私はその男の子の連絡先を聞くのを忘れました。
そして翌週、ある集会で大沼さんに遇ったので、「何筆集めたら、議会が聴いてくれますか?」「うーん、判らないけど、選挙に受かる投票数が650だから、それが目標。その位集めれば聴く耳を持ってくれるかも。」その小学生には伝えられないこと、残念に思いました。
結果、新聞によれば6502人分、彼の希望の650人をはるかに超えた10倍もの人達が署名してくれました。
結果、10倍超えた数の署名が集まっても、希望は却下されるという事実が残り、私はその小学生にどのような言い訳も出来ない不誠実な大人になりました。

以下の記事を転載いたします。なお、このブログは記事中の写真を掲載していませんので、「民の声」できちんと端から端まで読んでいただくことをお勧めします。参照として毎日新聞の署名を双葉町長に渡した記事も転載します。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
鈴木博喜氏の「民の声」(被ばくから子どもを守ろう、民を守ろう。その一念で書き続けます)
http://ameblo.jp/rain37/entry-12042396767.html?frm_src=favoritemail

【原発PR看板】署名を無視し撤去決めた双葉町。
標語を考案した大沼さん「負の遺産として現場保存を」
福島県双葉町に設置された原発PR標語の看板が、撤去の危機に直面している。
「原子力/明るい未来の/エネルギー」。
小学生の頃に標語を考案した大沼勇治さん(39)=茨城県古河市=は「負の遺産」として現場保存を求めているが、双葉町は「倒壊の危険」を理由に年内撤去の姿勢を崩していない。
「復興」の邪魔になるのか、なりふり構わず撤去へ邁進する町役場。
大沼さんは法的手段も視野に入れつつ、「原発事故を知らない世代に伝える責任がある」と今後も現場保存を求めていく。

【何が何でも「年内撤去」】
 双葉町幹部は「苦しい言い訳に終始した」という。

 6月22日。双葉町役場で、大沼勇治さん、せりなさん夫妻は1時間にわたって伊澤史朗町長らと話し合った。全国から寄せられた看板撤去反対の署名400筆を追加提出し改めて看板の現場保存を求めたが、伊澤町長は「年内撤去」の姿勢を崩さなかった。
「何を言っても駄目でした」。大沼さん夫妻は怒りを押し殺すように振り返った。

 「撤去ありき」の町側は、「錆び付いていて倒壊の危険がある」ことを理由に挙げた。しかし、建築士など専門家の判断を仰ぐことはしていない。職員が錆び付いている個所の写真を撮影してきた程度。町幹部は「業者への問い合わせでは、修繕費用よりも撤去費用の方が安いとの見積もりだった」とくり返したが、これも口頭でのやり取りのみで、具体的な見積書が提出されているわけではない。「とにかく『撤去』一辺倒。私費で買い取ると言っても町の資産であることを理由に拒否。どこかの博物館が展示を申し出たとしても断るとのことでした」。

 町側はとうとう、「民主主義」を振りかざした。「選挙で選ばれた町議が誰一人として撤去に反対していない。予算案は議会で承認された、これが民主主義だ」。妻のせりなさん(39)はこう反論したという。「では、私たちの『民主主義』はどうなるんですか?」。町長らの回答は無かった。「双葉町民だけから現場保存を求める署名を集めたとしても、考えは変わらない」という徹底ぶり。伊澤町長は「町議会では撤去に反対意見は無かった。むしろ『あんな看板は撤去してしまえ』という意見もあった」と語った。発言した町議の名前を大沼さんが尋ねたが、町長は回答を拒んだという。

 「あの看板が、これほどまでに価値があるとは思わなかった」、「当初は撤去後に保管する予定すら無かったが、署名活動のおかげで倉庫に保管することになった」とも話した町幹部。「町民から、大沼さんの活動に対するクレームの電話が何件か入った」とも口にしたという。

 「『復興に前向きな町』にとって、原発に依存していた、推進していたという歴史は不都合なのでしょう」。せりなさんは悔しそうに語る。双葉町秘書広報課に電話取材をすると、やはり「錆び付いていて危ないため撤去することにした。きちんと保管をするが、今後の展示場所や方法などは決まっていない」と答えた。

【安倍政権の意向が影響?】
 撤去決定の動きは速かった。

 双葉町が3月議会に看板の撤去費用約410万円を含む予算案を提出したことを知ると、大沼さんは一週間後には町や町議会に撤去反対を申し入れた。同時に署名活動も開始。仮設住宅で暮らす町民からも署名を集めたり、大手メディアの取材を積極的に受けたりして世論を喚起した。60人ほどの双葉町民が署名に応じてくれたという。
 「直接、会って話がしたい」。6月に入り、伊澤町長から突然、電話が入った。22日に面会することが決まったのが12日。しかし、翌13日には再び携帯電話が鳴り、「現場保存は難しい」旨が伝えられる。そして17日、町長は町議会で看板の年内撤去を一方的に表明した。撤去にこだわる伊澤町長の不意打ちだった。新聞記者からの電話で撤去表明を知った大沼さんは、驚くとともに不信感を募らせたという。

 「面くらいました。会う日時まで決まっていたのに…。署名を提出してから10日も経っていないのにですよ」

 今月8日、署名を提出した大沼さんは、町長室で「どうしても、あの場所に保存しなければ駄目か」、「復興記念公園の展示室で展示することを考えているが、実現できるかどうかは分からない」などと伊澤町長から打診されていた。
しかし、展示には消極的。「次の町長選挙に出るかどうか、当選するかどうかも分からない」とも語ったという。「保管はするが先のことは分からない、ということなのか。看板をずっと倉庫に眠らせるストーリーが見え見え」と大沼さん。「復興を推進したい政府・自民党や安倍晋三首相の意向が大きく影響したのではないか」と町長に質したが、否定したという。

【全国から激励の手紙】
 双葉北小学校の6年生だった1988年3月、宿題が出された。「『原子力』という言葉から始まる原発推進の標語を考えてくるように」。宿題だから提出しないと先生に怒られる。知恵を絞った大沼少年の脳裏に浮かんだのが、「明るい未来」だったという。

 「原発のおかげで、双葉町がいわき市のように発展するイメージがあったんですよね。この3年前にはつくば万博が開催されて、『21世紀』や『リニアモーターカー』の印象もありました」

 日頃から、出稼ぎの原発労働者が川魚釣りやサッカーなどで遊んでくれた。チェルノブイリ原発事故が起きた際は、母親が「もし福島原発で事故が起きたら、東京まで広範囲で人が住めなくなる」と話したが、「原発=原爆」のイメージを抱いた一方で、原発は輝かしい未来をもたらす存在でもあった。

 少年の考案した標語は281点のなかから優秀賞に選ばれ、岩本忠夫町長(当時)から表彰された。6号線沿いに自分の標語が掲げられると「誇らしかった」と振り返る。原発の街のシンボルとなった標語は、イベントで使われるテントにも書かれた。標語の書かれたテントで、岩本町長は初日の出を拝んだこともあった。長年にわたって小学生の原発PR標語を利用し尽くした町。今度は展示方法も決まらないまま、看板を倉庫に眠らせようとしている。

 「伊澤町長は、遅くても撤去をする一週間前には連絡すると約束した。それまでに専門家に現場を見てもらい、倒壊の危険性が低いことを証明したい。看板の歴史的な価値を町に理解してもらうために、学者にも見ていただきたい」と大沼さん。「原発の安全性を信じていた時代もあったんだと伝えるには、写真では説得力がないんです。歴史の1ページとして形として残したいんです。戦争の悲惨さが語り継がれるように。私の人生において、あの看板は外せないですから」。

 大沼さんの元には、署名とともに全国から多くの激励の手紙が寄せられた。「大切な宝物です」と目を細める大沼さん夫妻は、現場保存をあきらめていない。
(了)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
参照:毎日新聞 2015年6月8日の記事
http://mainichi.jp/select/news/20150608k0000e040146000c.html
◇町長に6502人分
 東京電力福島第1原発がある福島県双葉町が、27年前設置した原発推進の標語を記した看板を「安全管理のため」として撤去を計画していることを巡り、小学生時代に標語を応募して採用された茨城県に避難中の自営業、大沼勇治さん(39)が「看板を震災遺構として現地に残すべきだ」として6502人分の署名を集め、福島県いわき市の町仮庁舎で8日、伊沢史朗町長に手渡した。

 双葉町は今年3月の町議会で「撤去して保存を検討する」として撤去費用の予算案を可決していたが、署名を受け取った伊沢町長は「現場保存がいいのか、撤去がいいのか、大局的に判断したい」と計画を白紙に戻し、撤去の是非を再考する考えを示した。

 看板は、第1原発に原子炉増設計画が持ち上がり、町が誘致機運を高めるため設置を決め、標語を公募。小学6年だった大沼さんの「原子力明るい未来のエネルギー」が優秀賞に選ばれ、1988年に国道沿いに設置された。3年後には町役場前に別の看板も設置され、二つの看板の表と裏に原発を賛美する計四つの標語が並んだ。

 町は2011年3月の原発事故でほぼ全域が帰還困難区域となり、看板の管理ができなくなって取り付け金具が腐食。町は「落下の危険がある」と撤去を計画した。大沼さんは妻と2人で署名活動を開始。各地の脱原発集会などで賛同を求めるうちに協力者が増え、海外からも署名が寄せられた。菅直人元首相の署名もあるという。

 別の看板に記された「原子力郷土の発展豊かな未来」の標語を作った男性(90)も署名に応じた。男性は「私のは大間違いだった」と話したという。大沼さんは「日本全体の問題として、あの場所に残すことで過去の過ちを未来に伝えるべきだ」と話した。
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福島から声を出さなければ、原発は止まらない・・声を出せるような環境創りをし、又、声を出さなくとも意思表示をしようという事で始めました。このブログを通じて、多くの方に活動をご理解いただき、福島と共に歩んで欲しいと思います。

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