時々幟を持ったりして私の心を支えてくださっている方から文章をいただきました(ねだりました)。
少し話は聞いていたのですが、この文を読んで彼女の釜石への行動と思いがすんなりと私の心に解けていく気持ちです。彼女から見せてもらったコーヒー屋さんのマスターのバッジ、今からは違う目線で私が見ることになります。話って聴くものですね。もう少しじっくりと多くの方のお話を伺いたいと、この文章を読んで思いました。
掲載させていただきます。
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「釜石のコーヒーと菜の花バッジ」 2015.02.10 鳥居 光代
釜石を初めて訪れたのは、震災翌年11月であった。
震災後しばらく避難所となった宝来館に泊まり、女将さんから当時の話を聞いた。当日の津波の押し寄せるビデオも見せてもらい、津波の強さ、恐ろしさに言葉を失う。その後 各地の津波のビデオを見るチャンスは何回もあるが、見るたびに鳥肌が立ち、言葉を失う。
その宝来館に同じボランティアとして泊まった人が「釜石に住み込んで復興の手伝いをするつもりだ」と話してくれた。関東に家族を残し、釜石に家を借りた、その友人宅に月一回2泊3日通い始めた。
通っているうちに超おいしいコーヒーに出会い、マスターと話をするようになった。賞味期限1か月というコーヒー豆を毎月1kgずつ買い込み コーヒーに目がない夫も「釜石のコーヒー以外飲めなくなった」と絶賛。 ある時、そのマスターに思い切って「原発をどう思う」か聞いてみたら、「釜石でコーヒーを出す前は東京に住んでいて 金曜の官邸前反原発集会に通っていました」と即答。 これには驚いた。もっと早く話せば良かった。すぐに菜の花バッジを渡すと快く受け取ってくれた。その時客として来ていたマスターと同年齢の男性が「ぼくも原発反対です」と。この方にも菜の花バッジを渡した。とてもいい気分。
1か月後 釜石に行った時、コーヒー屋の店先に菜の花バッジが飾ってあるのを見て、また感激。そこで最新の菜の花バッチストラップを渡すと、その場でジャンパーのポケットに取り着けた。
賛成者はここが違う。
そのマスターが東京に用事があり、そのついでに官邸国会前反原発集会に参加した。次の日には釜石に帰った。
マスターの店をデザインした缶バッチをもらったので マスターが来たくても来られない国会前に 私のリュックにコーヒー缶バッジを付けて行くことにした。マスターの身代わりバッチと菜の花バッジを付けて私は今週も国会へ行く。
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