放射性物質を含んだそれを私の大事な人達がこれ以上吸い込みませんように。
未来ある子供達、夢と希望に満ちた青年、私の愛する家族…全ての人々が放射能から守られるように願わずにはいられません。
川俣町は、約14000人の住民を一番ひどく放射性物質が降り注いだあの日も避難をさせていない。
町で受け入れた避難民の対応に追われ、住民に対する情報の提供は皆無に等しかったと記憶している。
復興が優先されたこの町の子ども達は、『放射能が恐い』が言えない代わりに『安心安全、直ちに影響はない』の言葉の中で生活している。
一度は除染された通学路も、除染で行き来する大型車両からの新たな汚染の心配がある。さらに未だに収束しない原発からは、見えないだけで、今日も頭の上に降り注ぐ…この町のどこに『安心安全』があるのだろう。
人々は『安心安全、直ちに影響はない』は嘘とわかっていても『放射能が恐い』とは言えない。
声を出した為に『独りぼっち』になるかもしれない恐れ、地域住民との分裂、真実を伝えようとすればする程溝が深まる…
今、ここに暮らしている事が夢の中であったら良かったのに…
時々、現実から逃げたくなる。でも、放射性物質との闘いは始まったばかりで、逃げようにも逃げられない毎日である。
私達住民は、原発事故後一番良い方法で守られたのだろうか…
町、県、国は間違いなく、最善の策で私達を守ってくれたのだろうか。
少しでも、間違いがあったのなら、今からでも遅くはない…
もう、これ以上被ばくをさせない為に子どもを守る為の保養の構築や遊び場の建設、甲状腺の異常による保護者の不安払拭の健康管理、賠償をする事に力を注いでほしい。
今、ここ川俣町では
『放射能が恐い』
と言える状況ではないが、多くの住民が除染よりも早く
『子どもを守りたい』
そう強く願っているのは確かである。
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