福島県二本松市に住むあらおしゅんすけさんのブログからの転載です。
http://blog.goo.ne.jp/arao-311/m/201407あらお しゅんすけ 3.11の記録原子力災害に巻き込まれた一市民の<その後>を発信していきます
札幌たより No86 フクシマから エッセイ
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≪ 阿武隈山地に生きる ≫阿武隈山地の主要部は福島県の東側に南北に横たわっている。
山地は北は仙台の南の方から、南は栃木県や茨城県の北の方までも連なり
約200kmに及ぶ。
ただ東西幅はさほどなく、太平洋と東北新幹線の通る中通りと呼ばれる
ところまで約40㎞ほどである。
この山地は高い山は1000mを超すものもいくつかあるが、400~500mの
小さな山が丘のようにポコポコ連なっている。
私は青春のころから仕事や里山歩きでこの山地に親しんできたのだが、
この山地を表現するのに「55,555匹のネコをはべらせて、大きな風呂敷を
フウワリと かけた時にできる地形」と言っていた。
この山地に住む人々の数は、私の推定ではざっと50万人だ。
この人たちは、乱暴に言えば概して金銭的には貧しい人が多いと思われる。
しかしブータンにならえば,「国民総幸福量」が極めて高く
心豊かに暮らしていたと感じている。
つまり近代社会の都市などを中心にした煩わしい人間関係や金銭関係から
一定の距離を置いて、移り変わる自然に身を委ねてゆったりとした人生を
過ごすことができたからだ。
そのことを証明するようにひところから首都圏などを逃れてこの山地で
田舎暮らしをはじめた人たちも多い。
降雪や寒さもあまり気にならないこの山地では、里人の家の多くは
小さな山の日当たりのよい南斜面に陣取って一国一城の殿様のように
暮らしている。
しかし日本列島全体で、金銭至上主義的な生き方が強くなるのに伴って
この山地の中部、海寄りに出来た時代の最先端を行くまがまがしい装置、
福島原発で働く人もかなり多かったようだ。
安全神話は彼らにも行きわたっていたであろうが、3.11後彼らは驚愕の中で
予想だにもしなかった近未来のフロントランナーとなった。放射能との共存だ。
せめてこの国の賢者や偉い人たちが作り続け、また再稼働させようとしている
このシステムがこの列島ばかりでなく人類の未来にとって本当に安全、
効率的なものなのか、そこから漏れる物質が本当に害を及ぼさないものなのか
について、この山地に住む人々の命を懸けた実験が活かされることを望むが
それもはなはだ心もとない
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