5月14日です。福島県郡山市の空手先生奮闘記
http://ameblo.jp/4493/entry-11848369335.html?frm_src=favoritemail郡山に住む空手先生のブログを掲載します。行動を起こす事について書いています。
私の周りも「分かっている・支持する」と言いながら動かない人達が多いです。
自分の人生が人や世間の意向で流されていく事に抵抗感はないのでしょうか?
福島の現実は自分の生きる事への問いかけでもあると思うのですが。
既に1158日も経っているのです。私はいつも自戒を込めてこの日数を読みます。
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おはようございます。
今日で震災から1158日目です。
「日本人はどうしても人がやってくれるのを待つんだね。でも、自分で
動かない限り、やっぱり周りは動かないんだ。」ビートたけし
東日本大震災から今日まで『動かない日本人』というものを強烈に感じ、
歯痒い思いを胸に抱きながら生きています。
今日までずっと諸種の感情を抑えながら、そういう方々を見続けて来て思うのは、
『動かない人間』というのは性格だけが問題ではないということです。
ちなみに最初は原発問題から『動かない人間』というものを強烈に感じ、きっかけと
しましたが、日常生活の諸種の中にもその芽は出ており、そういう方々の反応は
状況や環境を問わずにそのような選択に落ち着いているように感じました。
私が『動かないな~』と感じた方々の中には、とても素晴らしい人格の方もいるし、
優しい方々もいます。
要するに人として尊敬出来るような面を沢山持っているのに、決断しなければ
ならないときに決断出来ないということです。
物事を決断しなければならないときにはリスクが付き物です。
物事を決断するということは、決断をすることで目的を達成させるという意図が
あるわけですが、決断出来ない方々は目的を達成することではなく、
極力リスクを回避したいという方向に気持ちの大部分が持っていかれて優柔不断な
状態に陥ってしまっているように感じます。
『動くリスク』よりも『動かないリスク』のほうが大きいと解れば、決断力は
今よりも上がるのでしょうが、その未来のことをどのように想像、認識し、
優先順位を踏まえて決断出来るかという基本的な思考システムが構築されて
いないと感じます。当たり前ですが自らの判断の全責任は自分が負います。
こういうことをいうと『〇〇だったらどうするんだ!』、『□□なんだぞ!』と
怒る人もいます。
ですがそんな個人の事情を大上段に掲げて『どうするんだ!』と訴える行為自体が
責任転嫁であると言っているのです。
個人の事情は人それぞれ…自分だけが大変だと考えることが間違いであり
驕りなんです。この責任を負うということが、今の日本の政治家や企業のトップを
見ても誰も取れない。そういう責任を取ることが出来ない連中が作った社会で生活
しているのですから、日本がそういう方向に向かうのは必然なのかもしれません。
この先の未来、日本国や日本人は生き残ることは出来るのでしょうか、
とても不安になります。
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