4月24日です。2つ目の投稿です。福島に住む方のブログを転載します。
この方の「今日で震災から…目です」という文字を目にすると心が引き締まります。
何度かお会いしていますが、私はこの方の日々の姿勢に尊敬の念をもっています。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
1138日目
テーマ:震災、原発、日々のこと
おはようございます。
今日で震災から1138日目です。
私は震災後から一被災者の立場として、己の感情を包み隠さずにここで
訴えています。
最初のうちは冷静を装い自身の立場、空手の先生であり人を導く立場に身を
置く人間の一人として、かなり感情を抑制して語っていました。
しかし……被災者である我々が声をあげて矢面に立つ覚悟がなければ、我々を
応援して励まし支援して下さる県外や他国の方々の善意を無にし、そういう方々
を孤立させてしまう行為だとすぐに気付きました。
県外や他国の方々がどれほど原発は危険だと訴えても、被災者である我々がしれっと
とした顔をして声をあげなければ、それは彼等の声を打ち消してしまうマイナスな
行為になってしまうのです。
「怒」を隠さない抜き身のようなそんな私を諭して下さる方もいました。
被災者は、被災者だからこその重い責任や義務があるのだと私は思います。
文句も言わずに黙って堪え、受け流すほうが出来た人間ぽく見えますから
格好いいし、私の美的感覚にマッチしています。
でもね私たち一人ひとりが黙っていることで、私たちよりももっと境遇の悪い
被災者の方々がもっと苦しむのです。
自分一人が声をあげたところで何も変わらないかもしれませんし、
実際変わらないでしょう。
しかしその数が増えれば必ず変わるのです。
その可能性が少しでもあるならば、全力で足掻かなければならないのでは
ないでしょうか?
自分よりも弱い方々の為に吠え、足掻くことが悪いことでしょうか?
この国は「出る杭は打たれる」という感覚があるからか、自らが声をあげ行動し、
自分自身に責任を持つということを能動的に行える人が少ないようです。
本当に厳しい状況に追い詰められた時に人間の本性というものは出るものです。
それは詭弁では隠すことが出来ないのです。
それを無意識にでも理解しているから自分自身と向き合わないのかな…とも
感じています。
スポンサーサイト