「今日は***日目です」という言葉から始まるブログの今日の記事を転載します。
この***日目という文字が毎日私の気持ちを引き締めてくれ、支えとなってもいます。
彼は私の頼みごとの大変面倒な部分を辛抱強く手伝ってくれてからのお付き合いです。
彼の友人のフクシマン・マサさんにも会い、二人と11年12月、一緒にご飯を食べました。
その半年後に二人とまた偶然会い「エッ~!何故此処で逢うの?」。
武道の先生として生きている彼から多くの教えを戴いてます。11日の体験をお読みください。
記事タイトル: 1094日目
http://ameblo.jp/4493/entry-11792303839.html?frm_src=favoritemailおはようございます。
今日で震災から1094日目です。
2011年 3・11 から三年の月日が流れました。
今日のPM2:46にその瞬間は訪れました。
体感的には一ヶ月以上前から地震が増えはじめ、一週間前になると一日に何十回という
小さな地震が起き続けました。
さすがにみんなが口々に「これは異常だよね」と言い出した頃に
東日本大震災は起きたのです。
地震は三段階くらいで、ドンドンと巨大化していったように感じました。
三分弱揺れ続ける時間がいかに長いか……これ以上地震が大きくなったら終わりかも…
そんな考えが脳裏を過ぎるほど激しく長い時間でした。
東北の三月は寒く部屋では石油ストーブをつけていたので、火事にならないように
すぐに消化したのですが火はすぐには消えません。
もしストーブがひっくり返り、部屋の何かに引火したらそれこそ大火事になり大変なことに
なるので火が完全に消化されるギリギリまではストーブの近くにいようと決め、
本棚などが倒れて来ないように支えていました。
火はだいぶ消えて来たのに揺れは益々酷くなる一方………外からはドガッ!と
何が巨大なモノが落ちてきた音が聞こえ「このままここにいたらマズい…
火もほとんど消えたし、逃げないと」って…一気にダッシュで外に逃げ出しました……
もちろん頭上からの落下物に注意しながら。
私は郡山市の駅から近い市街地に住んでいるのですが、
外に出てビルがグニャグニャのこんにゃくのように揺れている光景に驚愕しました。
そしていきなり前が見えないほどの猛吹雪となり、
本気で天変地異により地球が終わるのではないか……って思いました。
そしてその驚愕の体験をしている中で、何かが重なり合ったのです。
「あっデジャヴュだ!」
そう…私が体験しているこの瞬間を中学生の頃から何度も夢で視ていたんですね。
しかも夢の中では空からこの光景を視ていました。
私は小さな頃から正夢というものを視る率が非常に高いので
印象的な夢は何かの知らせではないかと記憶しておくのですが、
昔夢で視た光景があまりにも凄いので「まさか…」という気持ちはあったのですが、
その瞬間は「この時だったのか~」って思いました。
だから何だ?って話で、沢山の方々が亡くなられた大災害でしたから不謹慎かと思い、
今まで書きませんでしたがそんなことがありました。
揺れがおさまった後にまさか津波で何万という方々の尊い命が失われるなど
この時は何も考えてはいませんでした。
一旦地震が収まった後ですぐにまた第二波の大きな地震が来たりと、全く気が抜けない状況
でしたから………私が住んでいたアパートの壁は崩れ、部屋の中は目茶苦茶、
その惨状を見てやはりギリギリまで部屋に残ってストーブを消火させたのは正解だった……
って胸を撫で下ろしました。
外に出ると地中から何か巨大なモノが出て来るのではないかというような大きな地鳴りが
響いており「あ~人間って自然の力の前ではこんなにも無力で小さな存在なんだ…」って
思ったことを覚えています。
電話が繋がらないので、自転車に乗り、家族や道場生の家をまわり安否確認に走りました。
その道中で目茶苦茶になった街の光景に戦慄を覚えながら……
よく郡山は死人が一人だったからと言われます。
「だから…なに?」って私は思います。
これほど街が目茶苦茶になり、未だに苦しんでいる人々が沢山いるのに
死人が出なかったから軽いの?
街をまわり後で死者の人数を聞いたときに、よくこれほどの惨状で一人で済んだなと
思えるほど建物がペチャンコになっているものがいくつもありました。
また郡山で唯一亡くなられた方は、私がお世話になっている方の友人の息子さんでした。
もし…その亡くなられた一人が、あなたの大切な方だったら…
一人だったからよかったなんて言えますか?
確かに何万という人間の命と数字上で比べれば「被害者が少なくてよかった…」
という気持ちも湧くことでしょう。
しかし…そういう言葉が、私たちの耳に留まるということは、
それを発している方々が存在するということです。
そう思っても、それを口にしてしまうことは配慮が足らないのではないか、
厳粛さに欠けるのではないか………って私は思います。
亡くなられた方の家族の気持ちを考えたら「よかった」など口が裂けても言えません。
このように大震災は一面からだけでは語れないほどに、沢山の方々の悲しみと苦しみを作り、
それが今も続いています。
私もこのブログを打つ指が重く、
胸の奥に大きな杭を打ち込まれたような重さと痛みを感じています。
今年も私にとっての3・11を厳粛な気持ちで過ごしたいと思います。
スポンサーサイト