福島バッジプロジェクトは、福島の人達が「原発はイヤだ」と意思表示を出来る場を作り、その福島の人々の心に呼応して、同じ意思表示を日本中のだれもが出来るような場を作る事を目的として設立しました。

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

フクシマ或る避難者の叫び「現実を忘れたくて・・・酒だけが逃げ場」福島リポート

3月9日:フクシマン・マサさんからの転載です。
福島の心をお届します。マサさん、いつもありがとうございます。
私は彼の字を読んでいると、まるで彼から直接話を聞いてるような気持ちになります。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
福島県のフクシマン・マサです。

あの日・・・

3月11日が近づいてきました。

ダイジェストやフクシマンの福島リポートは、できる限り客観的な情報を届けたいと思い
書いていますが、毎年、3.11が近づいてくると、当時の記憶や、悔しさがこみ上げてきて、
客観的になれない時があります。

3.11までの間、投稿の内容が、いつもと変わるかもしれませんが、
どうかお許しいただけたらと思います。

私は福島県で老人介護の仕事をしています。

自分のブログのタイトルを、フクシマンの福島リポートとしているのは、
フクシマへの思い入れと、福祉(フクシ)の仕事への思い入から、
「フクシマンの…」というタイトルを選んでいます。

今日は福祉のフクシマンとして、とても印象に残る記事と出会ったので、
紹介させてください。

避難生活の絶望からアルコール依存症になってしまった、
ある避難者の苦しみを伝える、記事です。

メールで読みやすいように改行してみましたので、よかったら読んでみてください。

福島民報新聞(平成26年3月4日)
「原発事故関連死(57)

はけ口 アルコール

避難者の絶望 酒だけが逃げ場

現実を忘れたくて」

参照:http://www.minpo.jp/pub/topics/jishin2011/2014/03/post_9396.html


「仮設住宅で朝から酔っている人の気持ちは痛いほど分かる」。

浪江町○○地区の主婦Aさん(63)は東京電力福島第一原発事故に伴う避難生活で
アルコール依存症になった。

「古里に家があるのに帰れない悔しさ、
家族がばらばらになったやるせなさ、
寝付けない苦しさ...」。

忘れさせてくれるのが酒だった。

断酒して1年余りになるが、すんなりとやめることができたわけではない。

郡山市にあるアルコール依存の専門外来「大島クリニック」を受診したのが平成23年10月。

その後、3回スリップ(再飲酒)した。

今も抗酒薬が頼りだ。

「この薬を切らしたら、またスリップする。命の次に大事なもの」

転々とした避難生活、かなわぬ帰還―。
原発事故発生後、心は乱れた。

「原発事故さえなければ、避難生活さえなければ酒に溺れることはなかったのに」。

酒に逃げ込んだ自分の弱さも感じているが、原発事故の不条理が憎らしい。

最初は睡眠薬代わりの寝酒だった。

夫(66)や次女、孫らと着の身着のまま避難した浪江町の津島小体育館。

原発事故発生直後の平成23年3月12日、多くの町民であふれ、
皆身を寄せ合って寝ていた。

「もともと神経質」というAさんは、いびきや寝言、夜泣きなど物音がする度に
目を覚ました。

睡眠不足が続き、先の暮らしを見通せない不安や、いら立ちが増幅した。
酒がないと寝付けなくなった。
飲む量がどんどん増えた。
なくなれば、山を越えて川俣町の商店に買い出しに行ってもらった。

一週間ほどして二本松市の杉田住民センター体育室に避難先を移した。

「あのころから本格的に飲んだんだ」。

車の中で隠れて飲んだこともあったが、次第に避難者の目も気にならなくなった。

「もう、どうでも良かった」。

朝から晩まで飲み続けた。

杉田住民センターの駐車場から安達太良山を眺めていると涙が頰を伝った。

古里の山並みに重なって見えた。

「早く浪江に帰りたい」。

ばらばらに避難した長女や三女、孫たちは元気にしているだろうか。

「寂しいよぉ」。

コップ酒を握り締めた。


二本松市内のアパートを借り上げてから、Aさんも夫も飲酒量がさらに増えた。

近くに避難している知人がやって来ると、お茶ではなく日本酒を出した。

おめでたいことがあったわけではないのに威勢よく乾杯した。

「一瞬でも避難生活を忘れたかったのよ」

母にも見離され、つらく当たられた。

「お前みたいなやつは来るな」

母は避難先の郡山市の特別養護老人ホームで、酒臭いAさんをにらみつけた。

「何しに来たんだ」。

Aさんの手提げバッグには、飲み終えたばかりの缶ビールが入っていた。

母は昔から酔っぱらいと曲がったことが大嫌いだった。

古里を追われ、娘が二本松市のアパートで酒浸りになっていることを知り、
残念でならなかったに違いない。

母に愛想を尽かされた島さんもショックだった。
それでも、避難生活を思うと心がざわついた。

「酒がないと生きていられなかった」

母は24年10月、古里の地を踏むことなく避難先で亡くなった。

86歳だった。

酔っぱらった島さんに冷たく接したのは、「早く立ち直れ」との
最後の愛情だったのかもしれない。

そう気付いたときにはもう、母はいなかった。

###########


原発事故に伴う長期避難が古里を追われた住民の心身を痛めつけている。

不便な仮設住宅で、見知らぬ地の借り上げ住宅で、ストレスを抱え込む。

心に開いた穴を埋めるように、多くの人々は、はけ口を求める。

アルコールに逃げ場を見つけ、悲しみを忘れようとする人もいる。

健康状態を悪化させるケースもある。苦しむ避難者、家族、医療関係者らの悩みは深い。

(記事紹介終わり)

###############

今福島には、深い悩みを抱えた方や、難しい事情を抱えた方が沢山いらっしゃいます。

福祉の現場で、そうした方々に出会うたびに、今自分に何ができるのかと悩みます。

「答え」はわからず、今も悩み続けていますが、時々、苦しんでいる相手の方が
「答え」を教えてくれることがあります。

一人一人の中に「生きる力」が宿っていて、多くの人が、時がたつうちに「力」を
よみがえらせ、みずから立ち直ってゆかれるのです。

そうした瞬間に出会うたびに思うことがあります。

もしかしたら相手は常に、
「あなたは私を信じてくれますか?」
と、私に問い続けていたのかもしれないと・・・

その問いにこたえきれた時に、
ほんの少しだけ、
私は「誰か」の力になれるのかもしれません。

※アドレスは配信専用のアカウントです。
みなさまからのご意見、ご質問は
masa219koro@yahoo.co.jpへお願いいたします。

※過去のダイジェストが見たい方は、こちらへ…
「フクシマンの福島リポート」
http://ameblo.jp/masa219koro/
(アメブロにアドレスから入れない方は、タイトル検索してみて下さい)

(福島県郡山市 フクシマン・マサ)
スポンサーサイト
最新記事
福島バッジを応援してください
福島バッジプロジェクト チラシ7版7版目の新しいチラシを作りました!

福島バッジプロジェクト チラシ6版6版目の新しいチラシを作りました!

福島バッジプロジェクト チラシ5版5版目のチラシはこちら

福島バッジプロジェクト チラシ4版4版目のチラシはこちら

福島バッジプロジェクト チラシ3版3版目のチラシはこちら

福島バッジプロジェクトで意思表示を!プラカードなど自由にお使いください。ご自由にお使いください!
プロフィール

福島バッジプロジェクト

Author:福島バッジプロジェクト
福島から声を出さなければ、原発は止まらない・・声を出せるような環境創りをし、又、声を出さなくとも意思表示をしようという事で始めました。このブログを通じて、多くの方に活動をご理解いただき、福島と共に歩んで欲しいと思います。

月別アーカイブ
カテゴリ
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。