残酷な事実を書きますが自分の眼で見てきた事実です。
2011年6月19日南相馬に行って牛や馬、そして豚の凍死と餓死を見てきました。
特に豚は雑食です。 生きるために共食いをしていました。
地獄を見てきました。
人間は共食いはしていません。 凍死と餓死です。
月単位が経過して遺体捜索に入った時も政府やマスコミは救出、救助の為、救援隊、
救助隊が入りましたと報道していました。
この事にはテレビで浪江町長が涙ながらに抗議をしていました。
このような悲惨な事実は国民の殆んどが知らされていない為、知りません。
私のふる里大分での同級会の折り、監事が最初に時間を与えてくれて、
餓死、凍死のことから自力避難の事まで話しましたが50人程いた全員が初めて知る事実と
涙ながらに話す私と共に、フクシマの真実を知り、殆んどの友が涙を流してくれました。
福島の自由民権運動の先駆者DNAに期待させてください。
そして一緒に期待して欲しいと思います。
今私の眼に涙が溢れて文字が見えません。
事故以来これだけの取り組みをしてくれた新聞マスコミは有りませんでした。確かに
記事の内容は満点では有りません。然し私は3日その日の午前に人生初めての経験ですが
早々と民友新聞代表番号に電話をかけました。
今日の記事のお礼ですと話したところ編集局次長に取り次いでくれました。やり取りしている
内にどの部分が良かったでしょうかと聞かれましたので即座に全てですと答えました。
自力避難の事にこれだけ光を当ててくれたのは事故後初めてなので良いも悪いも全てです。
表裏一体が物事です片面だけでは考える事すら出来ないです。
「自主避難者は、避難による人間関係の変化や、支援制度の変遷などを経て、
事故後3度目の正月を迎えている。避難者の現在の思い、境遇を追う。」と書いて
有りますが次も有るという事でしょうかとお尋ねしたところ・・・
この問題は置き去りに成っていましたが地元紙として避けて通るべきで無いとの事から
賛否両論から取り組んでいく事にしました。今日から連続10回シリーズで有るという事も
教えてくれました。
この方と話していて感じた事は、名は態を表す、漢字には意味が有るという言葉が
思い浮かびました。
**さま
原発災害「復興の影」とは読んで字の如し(復興の名の元に隠された裏側)
ではないでしょうか
「自ら逃れる」とは復興の裏側、影そのものではないでしょうか
逃げなくても良い程度なのに一応大事を取って行動する(自主避難)では無く、
国や自治体から理不尽な原発からの距離や放射線の数値等で線引きされ、
置き去りにされたために自分の力や家族、親族、友人、知人、無縁の人の力を借りて
宝物の子どもたちを守る為に全国各地に避難したのが自力避難だと思っています。
以下略・・・・
スポンサーサイト