以下は翌日のその方のメールコピーです。このやっと出てきた記事に対する福島の人の喜びを
感じとっていただきたいです。
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昨日お知らせした
福島民友新聞「自主避難して正解は昨日より連続10回シリーズになるそうです
昨日の記事の大きさは第1面の半分弱です。こんな事は事故以来初めてです。
私が付き合いしている販売店の社長さんが民友新聞編集局によい反響だと伝えて
くれるそうです。(他にも良い反響が有るそうです)
30部 お願いしたら値切った訳では無いのに半額で良いですよとの事、しかも
5部おまけ、届けててくれた時にはすでに半額分の金額を書いた領収書持参でした。
担当記者の名前が無いという事は民友編集局、民友新聞全体の記事だそうです。
これ程の記事を書くと反動が有りそうですね
私たち多くの読者が民友編集局に励ましとお礼と若しかしたら抗議の電話をかけましょう。
今朝程 民友新聞編集局(024-523-1390)に今回は励ましとお礼の電話を
かけましたら 昨日から連続10回シリーズだそうです。
みんなでお礼と励ましを・・・・・これに勝る力は無いそうです。
勿論 賛否両論あります
10回シリーズです 抗議内容が有れば みんなで抗議しましょう
民友新聞編集局には反論や抗議することも伝えました
きょうも1面ですサイズは昨日の半分くらい
内容は沖縄での避難者の日々諸々です
朝日新聞連載の「プロメテウスの罠」より大きめです。
10回の書き起こしは初心者の私には出来ませんが、
どなたかお願いします。
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記事の書き起こしが入りました!皆さん、ありがとうございます。
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2014年1月3日(1面)
「自主避難して正解」 原発災害「復興」の影 ■自ら逃れる ①
肯定求める親の判断 古里を離れて心に負担
「周りからは『大変ね』って、数え切れないぐらい言われる。母子避難という
“ブランド”を背負っているような感じ」。
長女(9)と長男(7)を連れて福島市から兵庫県西宮市に避難する〇〇〇〇(35)は、
自らに向けられる、周囲の同情的な目に戸惑いを感じている。
「こっちは前向きなつもりなのに」
期限ぎりぎりに転居
2012(平成24)年秋、12月で県外避難者のための住宅借り上げの新規受け付けが終わると
聞いて、急に不安になった。
18歳以下の県民を対象とした甲状腺検査で、子どもらの甲状腺に「嚢胞」などのしこりが
見つかったと話題になったのもこのころだ。
検査した機関は原発事故との関連を否定したが
「うちの子は何もないとは言い切れない。後悔したくなかった」。
期限ぎりぎりに、神戸市の知人に紹介してもらった西宮市のアパートの
借り上げ手続きを済ませ、暮らし始めた。
避難してから、放射線について調べ「やはり福島は危険だった」と思った。
今は子どもらが砂遊びをしていても安心していられる。
福島市に残る夫(37)には負担を掛けているが、やはり避難して良かったと思っている。
昨年年の瀬に、福島市に一時帰宅。正月は夫と過ごした。
福島の母親仲間とは、放射線に関する話題はあえて避けて、子どもの話に終始した。
「サッカーやってるけど元気すぎて困ってる」
相馬市から滋賀県栗東市に避難する元設備業〇〇〇〇(52)は11年11月に相馬の知人らと
京都で再会した。長女が卒業した中学校の吹奏楽部が音楽祭に特別出演した。
子どもらの前では「いつ帰ってくるの」などと当たり障りのないやりとりだったが、
トイレや廊下で保護者と二人きりになった時、何人きら言われた。
「今度、何かあったら子どもを避難させたい。預かってくれないか」
〇〇は「人前では言えなかったんだな」と思った。
「相馬は市民が一丸となって復興に進んでいるというのが建前。避難したいと言えない
雰囲気があるのでは」と推測した。「裏切り者」「もう仕事はないよ」。
相馬に一時的に戻ると、同業者からは厳しい言葉を投げ付けられる。
しかし、〇〇は意に介さない。「仕事もいいが、家族に健康被害が出たらどうするんだ」
国による避難指示のなかった地域から、他県や会津地域に避難したのは3万人程度と
みられている。賠償などがある避難指示区域からの避難者と比べ、経営苦などが
目立つとされるが、当人たちは「避難して良かった」「(地元に)残っていたら大変だった」
と肯定的だ。
福島大行政政策学類准教授の丹波史紀(40)=社会福祉論=は「自主避難者は職場や
古里を捨てたのではという後ろめたさを感じている人が多く、避難が正しかったと思いたい
気持ちが強い。地元で健康被害などがあれば、避難が正当化されるという考えもみられる」
と指摘し、「自主避難者に『避難は悪いことではない』『間違ってない』と言ってあげる
などの支えが必要だ」と話す。
自主避難者は、避難による人間関係の変化や、支援制度の変遷などを経て、事故後3度目の
正月を迎えている。避難者の現在の思い、境遇を追う。
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ここまで読んでくださってありがとうございます。
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