ある日、自宅近辺の孟宗竹を加工して、沢水を引くための工夫をあれこれしている時の
話です。
竹は、放射性物質をたくさん吸っていますね・・・沢水は、その竹を流れ運ばれ、
Aさんの子供たちが飲むんです。
どう考えても原発からは今だに放射性物質が放出されます。
沢水が飲めるかどうか…飲みたいか、飲みたくないか、子ども達に飲ませるか
飲ませないか、もう個人の判断なのです。
少しでも批判するようなことを言うものなら、人間関係を壊す事態にもなりかねない…
当たらず触らずその場を過ごそうかと感じていましたが、一緒に話をしていた、
やはりその方も似たような年頃の子供を持つ50代の男性Bさんが
「沢水は・・・飲まない方がいいんじゃないの?」と一言。
Aさんは、
「そういうこと考えてるのは、⚪︎⚪︎君の奥さんくらいなんじゃないの。
金、かかんないんだよ。」といいます。
⚪︎⚪︎君の奥さんは以前に、地元米を使用した給食をやめて欲しいことやマスクを
推奨して欲しい申し入れ、児童や生徒にプール清掃(除染ですよね。)をさせない為の
お願いなど子どもを守るために声をあげている方です。
何故、そこで名前を出されなくてはならないのでしょうか。
当たり前の感情が、反対の状態を招くのです。安心安全まっしぐらの町。
それと共に生きたい住民達も確かにいます。
私にとっては沢水も、孟宗竹も、空気も、土も気持ち悪いものになりました。
でも、全く感じない方もいます。
以前は「何とかして伝えなきゃ」と思いましたが、今はそのように思っている方々の
領域には踏み込む勇気もなければ、気力もどんどんなくなりつつあります。
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