福島バッジプロジェクトは、福島の人達が「原発はイヤだ」と意思表示を出来る場を作り、その福島の人々の心に呼応して、同じ意思表示を日本中のだれもが出来るような場を作る事を目的として設立しました。

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3月11日を福島で体験した方の今日のブログ紹介

3月11日がまた来てしまいました。
今日はどんなことがあっても、昼間は一人で近くの駅でスタンディング、それから国会前と、東電本店前での抗議行動に参加。
福島で震災を体験した二つのブログを「福島からのメッセージ」として転載します。
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http://ameblo.jp/4493/entry-12137602936.html?frm_src=favoritemail
ー 空手を始める人のために ー 福島県郡山市の空手先生奮闘記
1825日目
テーマ:震災、原発、日々のこと

おはようございます。今日で震災から1825日目です。
2011年3月11日から五年を迎えました。
もう五年……、まだ五年……

毎年、毎年、この時期が来るとイベントやら特集で盛り上げようとするけど、それ以外の日常は誰も話題にすらしない
みんな忘れてしまったかのように何も語らない
福島第1原発事故は何も終わっていません。

世界最大の原発事故で、未だに収束出来ず、何も終わっていないのに皆の記憶から消えている……
恐ろしいことです。

国や電力会社は一生懸命に原発を再稼働しようとしています。
福島第1原発事故のような未曾有の被害を被って尚、国民は同じ方向を向くことはありません。

その時点で既に日本国民に死亡フラグが立っているのです。
自分が当事者ではない人間には、そういう考えは浮かばないのでしょうね。
私たち被災者からしたら、それはとても悲しいことです。

昨年、うちの小中学生の首のリンパ腺がとんでもない大きさに腫れ上がるという原因不明の症状があらわれました。
2センチ位のコブ状に丸く腫れ上がるのです。
私はあんなのを見た経験がないので、かなり焦りました。

それは一ヶ月から一ヶ月半くらい症状が続き消失するというものでした。
なんでしょうね?

この先何かあった時の為にここに書き留めておきます。

この先、何年経っても私の心が晴れることはありません。
福島第1原発事故がきちんと処理され、汚染水の垂れ流しが止まるまで、ずっと慟哭の中にあるでしょう。
私が前のようにブログを書かなくなったのは、私なりの葛藤と考えがあります。
ですがブログに書こうと書くまいと私の心は、あの日から少しも変わっておりません。
やる瀬ない、胸が張り裂けそうに心が震えます。
3・11の特集番組とかを見る度に冷めていく自分を感じます。
あの日亡くなられた方々の悔しさや悲しみを忘れないためにも、生き残った我々が責務を全うしなければならないって思います。
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http://ameblo.jp/logflower/entry-12137838339.html?frm_src=favoritemail
喜怒哀楽日記
福島から自主避難して5年目となりました。ここまで来るのに様々な葛藤のなか少しずつ少しずつ歩みを進めれますように…
私の5年間
2016-03-11 07:26:50NEW !
テーマ:ブログ
2011年3月11日。
福島の自宅にて東日本大震災発生。

部屋の中はぐちゃぐちゃでしたが幸い家屋は温水器の水道管が折れたのみ。
宮城の両親とは連絡取れず安否確認ができない状態。
常に余震で揺れるなか母子二人きりで不安なためご近所さん宅に身を寄せる。

翌12日より断水となる。食料確保のためスーパーをはしご。
皆必要以上に買いしめず最低限の物のみ購入。
誰もが静かに冷静にレジの長蛇の列に並んでいた。
私は内心言いようのないジワジワ押し寄せてくる不安感でいっぱいだった。
きっと周りの皆も同じだったと思う。
水は給水場に並びもらう。
この日は友人親子が我が家へ来てくれた。
この時点で原発の状況はたまにテレビの報道で流れるのみ。
正直それ以外のことに追われていてその時点ではまだピンときておらず。

翌日、夫の単身先関東へ行くことに。
(部屋の片付け等したかったので行く気がなかったので断ったのだが、義父母が強引に迎えに来た。)

その翌日くらいにやっと宮城の親の安否確認ができた。
春休み中のみ夫の単身先へいよう
そう思っていたのですが原発事故の影響が不安なためそのまま自主避難することとなる。

しかし
福島の友人、ご近所さん 東北の皆さんが大変ななか
自分だけ普通に暮らせることが
本当に申し訳なく残酷で非情な人間に感じ
また福島へ帰りたい思いも強く

あのまま福島にいても 不安だったでしょうが
逃げても罪悪感が大きく辛くて辛くて…。

避難先で行われた息子の運動会では
自分だけ普通に運動会をして申し訳なくて
涙をこらえても溢れてきて困った。

でも
それもこれも当時9歳の息子を
被曝から守りたいという思いのみから!

仕事に追われる夫。
原発や東北のこと、故郷への思いで
頭がいっぱいな私。

互いが互いの置かれた現状を
受け入れることに必死で
相手の気持ちを思いやることも出来ず
側にいることが返って苦しい。

側にいることで増す孤独感。

帰りたい帰りたい、福島に。
そんな言葉ばかりが頭のなかでぐるぐる。

言葉にこそしませんでしたが
雰囲気で伝わるだろうから
夫はそんな私が面倒だったのでしょう。

元々人混みが苦手だし
人混みに行くと目眩や吐き気がし
その場から動けなくなり
結果自然と引きこもりがちとなり
身を隠すように暗くなってから
近所の小さなスーパーへ
晩ごはんの買い物に出たり。

なんだか
とにかく人に会いたくなかったんです。

人とコミュニケーションを取るのが
酷く億劫に感じていました。

その後の4年間
昨年バイクの免許を取るまでは
上記のよう生きる屍状態でした。

blogの内容も
原発、福島、愚痴などばかり。

なにより
楽しみを持つことですら罪悪感に襲われ。

でもそんなこと
なんの役にも立たない。
誰のためにもたらない。

今でも福島の自宅は売らず
たまに帰って草取りや空気の入れ換え等をしています。

自分なんて全然だけど
もっともっと大変な人たちを思うと
愚痴を吐いたり
泣き言を言ってはいけないのだけど
たまに当事者ではない人からの正論に
落ち込むやら叫びたくなるやら…。

自分は吐き出すけど
弱音すら吐けない人も多い。

私はよく同じく自主避難した友人と
いろんなことを話しました。

引きこもりがちな私を
ランチに誘い出してくれたり。

また福島の友人とも
今も変わらず繋がっています。

そして今…
こちらでも気のおける友人ができ
沢山の人たちに支えられています。

当時9歳だった息子は
私の背を追い越すほどに。

バイクという楽しみもでき
あの頃福島で家庭菜園や
庭の手入れをしていた頃のように
生きている充実感を再び得ています。

贅沢なことだと思います。
ありがたいことです。

いつかまた
地元東北に戻れる日まで
息子の成長を見守ります。

そして
自分の人生も楽しみます!
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ときに愚痴でも吐きながら…。
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Author:福島バッジプロジェクト
福島から声を出さなければ、原発は止まらない・・声を出せるような環境創りをし、又、声を出さなくとも意思表示をしようという事で始めました。このブログを通じて、多くの方に活動をご理解いただき、福島と共に歩んで欲しいと思います。

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